那須温泉郷は、那須町の北西部にそびえる茶臼岳の山腹に散在する温泉群
温泉番付 : 温泉番付とは、温泉地を大相撲の番付に見立ててランキングしたものです。初めて作られたのは、江戸時代の安永年間(1772~1781)ごろといわれ、東日本の温泉地を東方、西日本の温泉地を西方に分け、人気ではなく温泉の効能の高さを元に、全国100ヵ所近くの温泉が番付されていました。
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鹿の湯 : 那須の観光名所であり、九尾の狐伝説で有名な殺生石のそばに、現在の共同浴場「鹿の湯」があります。那須温泉の開湯は古く、その発見は第34代舒明天皇の御代(630年ごろ)に遡ります。茗荷沢村(みょうがさわむら:現在の那須町高久乙)に住む郡司の狩野三郎行広が狩りの途中、射損じた白鹿を追いかけ霧雨が谷(現在の鹿の湯あたり)という深い谷に分け入ったところ、自らを温泉の神と告げる白髪の老翁が現れました。老翁の進言に従って三郎は鹿を探し、温泉に浸かって矢傷を癒している白鹿を見つけました。三郎はこの温泉を鹿の湯と名付け、温泉の杜(現在の那須温泉神社)を建立し、射止めた鹿角を奉納したといわれております。こうして開湯された鹿の湯は、温泉発見において日本で32番目に古く、栃木県では塩原、日光を抑えて最古、同じ関東の熱海、修繕寺、草津、伊香保らとともに、古い歴史を持つ日本の名湯として全国にその名を知られています。那須温泉の源泉温度は63~80度と高く、鹿の湯の浴槽の湯温も高めに設定されています。この熱い湯に浸かるため、鹿の湯には時間湯という独特の入浴法が伝えられてきました。泉質は硫黄泉で、皮 膚病、婦人病、胃腸 病、疲労回復などに効果があるといわれています。湯の香りである硫黄臭は那須湯本一帯に漂っており、一歩足を踏み入れると、歴史ある温泉らしい情緒のひとつとして、嗅覚でも湯治気分を大いに盛り上げてくれます。
大丸温泉 : 江戸時代の元禄4年(1691)に発見されたと伝えられる大丸温泉は、茶臼岳東側の中腹、白戸川に沿った谷間にあります。別名大丸塚温泉ともいい、那須温泉郷の中でも2番目に高い標高1,300mの地点、那須ロープウェイ山麓駅近くにあります。茶臼岳を水源とする白戸川の流れそのものが温泉となっており、これをせき止めて作った大露天風呂「川の湯」は、大自然に囲まれた川の露天風呂という独特の風情で、温泉ファンに人気の高い温泉です。大丸温泉は、黒羽藩主大関氏や乃木希典将軍が好んだ温泉としてもよく知られています。乃木希典将軍は、西那須野(現在の乃木神社あたり)に居住していたころの約10年間、ほぼ毎年この大丸温泉に入浴、滞在していました。泉質は単純泉で、結核、慢性湿疹、神経痛やリウマチ、胃腸病などに効能があるとされています。また、大丸温泉の川下にある地蔵の湯温泉は、那須御用邸に引き湯されています。
北温泉 : 余笹川の源流近くの奥深い谷間にある一軒宿で、公共駐車場に車を置いて400mほど山沿いの歩道を歩いたところにあります。北湯とも呼ばれ、昔から湯量が豊富なことで知られています。江戸時代の元禄9年(1696)に発見された北温泉は、温泉の由来や起源の詳細は不明ですが、源泉の岐路が多いことから「岐多温泉」と記された暖簾が残っています。明治時代の漢字が統合されていく過程で北温泉となったとされていますが、古くは喜多温泉という記述もあります。現在の北温泉旅館は、江戸安政時代に建てられた建物を中心に、明治、昭和に増築されてできた古い木造3階建てで、創業期の古き良き面影を濃く残しています。10×15mの大きな「泳ぎ湯」やもともとは山伏の修験場であった「天狗の湯」などユニークな風呂が知られています。単純泉で、神経痛やリウマチ、痛風などに効果があるとされています。
弁天温泉 : 弁天温泉は、天保年間には温泉場としての記録がありますが、その発見の由来は不明で、明治17年(1884)に小林佐秀氏によって再発見された温泉です。伝えられる話によると、ある夜、小林氏の夢枕に現れた弁財天のお告げにより、出湯のあることと地に埋もれている自分の像を世に出すよう教えられたといわれています。現在の旅館の裏にこの弁財天を祀る祠があり、その奥の岩窟内から温泉が湧出しています。この弁天温泉は、那須温泉の湯ただれを治す「仕上げの湯」としても知られており、褐色の浮遊物を有する無色無臭の単純泉で、胃腸病、脳神経病、リウマチ、疲労回復などに効果があるとされています。場所は、茶臼岳の中腹で休暇村那須にほど近く、苦土川上流の谷間、標高に1,200mにあります。
高雄温泉 : 茶臼岳の東側中腹、高雄股川の上流に位置し、別名高雄股温泉とも呼ばれており、江戸時代の万延年間(1860~61)に発見されたといわれています。当時は山岳信仰が盛んで、高雄温泉は「温泉(ゆぜん)様の湯」と神聖視され、長い間浴用に供されませんでした。その後、白湯山信仰の行者が身を清める湯となり、「御行の湯」と呼ばれるようになりました。信仰登山が衰退して以降は、明治時代に浴場を上流の源泉の傍らに移して、湯垢(湯の花)採集が盛んに行われました。含硫酸塩硫化水素泉で、泉温は40度と低いが、豊富な湯の花が浮き沈みする白濁した湯は人気があり、慢性皮膚病や神経痛などに効果があるとされています。一時は宿泊施設がなく、無人の露天風呂があるのみでしたが、現在は旅館が営業しており、日帰り湯も楽しめます。
八幡温泉 : 那須温泉の北西約3km、八幡崎にある温泉で、源泉は白戸川河岸にあります。標高は約1,100mで、那須連峰を背にして広く那須野が原を一望できる眺望は、那須温泉郷随一のすばらしさといわれています。明治23年(1890)、白戸川河岸から湧出した湯を木管で引き湯し、明治43年(1910)に旅館が開業しました。この八幡温泉の真ん前の南東の斜面に、かつて那須与一宗隆が遠矢の稽古をしたという伝説の残る八幡の馬場がありました。放牧馬が、有毒な成分を持つツツジだけを残して一帯の木の芽や草を食べつくしたことから、現在では約10万本のツツジが自生する一大群生地となりました。毎年5~6月にかけて満開となり、行楽客や地元民の目を楽しませる那須の観光名所となっております。泉質は単純泉で、疲労回復、神経性疾患や痔疾などに効果があるとされています。
三斗小屋温泉温泉 : 三斗小屋温泉は、那須ロープウェイ山頂駅を降りてから最短でも2時間という登山ルートを経なければたどり着けない奥地にあります。茶臼岳の東にそびえる朝日岳(1,903m)の西斜面、標高約1,500mの高地に湧出し、那須町地内にある那須塩原市の飛び地に位置しています。康治元年(1142)、奥州信夫郡信夫村の生島某により発見されたと伝えられています。元禄8年(1695)には、鬼怒川回りの会津西街道が天災で遮断されたため、会津から江戸への陸路として新しく会津中街道が開かれました。三斗小屋温泉が賑わうようになったのは、この会津中街道沿いに三斗小屋宿、板室宿が設けらてからとなります。最盛期の明治元年ごろには5軒の宿が営業しておりましたが、現在では2軒が冬季を除く4月から11月にかけてのみの営業で、シーズン中は登山客や秘湯を求める湯治客に人気があります。旅館は自家発電のため、午後9時の消灯後はランプがともされ、大自然のまっただ中の温泉で、人工的な光に邪魔されない満天の星空を楽しむことができます。泉質はアルカリ性単純泉で、無味無臭無色透明、関節リュウマチや消化器系の疾患、婦人 病、その他慢性湿疹 に効果があるといわれています。三斗小屋の名称の由来には諸説があり、三斗小屋へ行く峰路を越すには牛といえども三斗以上の米は運べないとの説、三斗小屋温泉へ運ぶ米俵は三斗が一俵であるなどの説があります。
泉質:単純泉、硫黄泉
効能:単純泉(神経痛、筋肉痛、関節痛など)、硫黄泉(リウマチ、皮膚病、胃腸病など)
特徴:那須御用邸のある新那須温泉、温泉郷の中心の那須湯本温泉、最奥の大丸温泉を総称して那須温泉と言う。有名な「那須七湯」は鹿の湯、高雄、八幡、弁天、北、大丸、三斗小屋の7源泉のこと。活火山の茶臼岳の麓には、七湯の他にも多数の源泉が点在し豊富な湯量を誇る。泉質は源泉によりさまざま。いずれも古い歴史を持ち、山深い場所に湧く秘湯が揃う。心静かにじっくり名湯と向き合うのも、また格別だ。
住所:那須郡那須町
開湯伝説によれば、鹿が温泉で傷を癒しているところを発見したとされ、共同浴場の名前にその由来が残る。江戸時代は黒羽藩が管理し、また松尾芭蕉も奥の細道の途中で那須湯本温泉に宿泊している。1858年に温泉街を流れる湯川左岸が氾濫して温泉街が壊滅し、現在の右岸高台側に移転した。