黒川温泉
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その黒川温泉の秘訣は、街をあげての環境整備にあるという。30軒近くの全ての旅館に趣向を凝らした露天風呂を設置。渓谷と山あいのまばゆい緑と湯けむりに包まれた、浴衣と下駄の似合ういかにも温泉地らしい情緒ある街並みを作り上げた。人気の「入湯手形(3軒湯めぐりできるフリーパス」を片手に、カランコロンと下駄の音を響かせながら癒しの里を歩けば、「また来たい」という思いがふつふつと込み上げてくるに違いない。
全国的にもその名が知られる人気温泉地。標高700m、筑後川の支流である田の原川沿いに、懐かしさあふれる宿が立ち並び、湯治場の雰囲気を残している。泉質は含食塩芒硝硫化水素泉で、神経痛、リウマチに効果がある
黒川温泉(くろかわおんせん)は、熊本県阿蘇郡南小国町にある温泉である。近年、マスメディアなどでの温泉ランキングで日本一に選ばれたことがあり、脚光を浴びている。2006年10月27日に「地域ブランド」(地域団体商標)として認定されている。阿蘇山の北に位置する。南小国温泉郷の一つで、広義では阿蘇温泉郷に含む場合もある。
黒川温泉としての歴史は古く、以下の伝説がある。ある日、豊後国の甚吉という男は、瓜を盗んだことで首を刎ねられそうになったが、それを免れた。代わりに身代わりに信仰していた地蔵の首が刎ねられてしまう。そこで、村人はそれを甚吉地蔵として崇拝するようになった。ところが細川藩士の中にこの地蔵を持ち去ろうとした男がいた。だが、ある場所に辿り着くや、突如として地蔵が重くなり動かなくなる。男は諦め、地蔵をその場に放置すると、村人は岩場に奉祀することにした。すると、その岩の裂け目から湯が噴き出、村人の浴場となったという。このいで湯こそ黒川温泉の発祥であり、今も地蔵湯と地蔵の首が残っている。
客を引き留め、リピーターを確保できる、黒川温泉のセールスポイントは何かを摸索した結果、候補として挙がったのが露天風呂と田舎情緒であった。また、単独の旅館が栄えても温泉街の発展にはつながらないと考え、温泉街一体での再興策も練られるようになった。その他、様々な案が浮かび上がっては消え、試行錯誤の連続であったが、1983年から入湯手形による各旅館の露天風呂巡りが実施される。もっとも、この企画も大々的なPRを行わず、後は口コミによる観光客増加を待つのみであった。また、この頃は修学旅行生も頻繁に受け容れており、手頃さも売りにしていた。そういった地道な活動の結果、今に見る隆盛に漕ぎ着けたのである。
総ての旅館の協力のもと、「入湯手形」により、日帰客も含めて、何処の露天風呂も入れるという仕組みは、画期的であった。この企画が大ヒット、話題となって、黒川温泉が人気温泉地として飛躍するきっかけとなった。今や黒川温泉といえば、「入湯手形」だが、その誕生のきっかけは次のとおりである。1985年(昭和60年)7月、組合で野沢温泉を視察、外湯めぐりにヒントを得る。一軒のみどうしても露天風呂が作れない旅館があり、「共生」を理念とした湯めぐりの発想が沸く。1986年(昭和61年)「入湯手形」をスタート。ただ、旅館組合でも確たる見通しがあって始めたわけではない。実際、開始当初は「手形」が捌けず、各旅館に割り当てて引き取ってもらうことすら考えた。同年秋頃から全国的に秘湯ブームとなり、次第に軌道に乗った。
黒川温泉の露天風呂巡りには、通常は500円(大人1軒)掛かりますが、入湯手形1,200円を購入すると(入湯手形は黒川温泉の案内所「風の舎」で購入する事が出来ます)温泉内24軒の露天風呂の中から3ヶ所に入浴する事が出来き少しお得に湯めぐりを楽しむ事が出来ます。使い終わった入湯手形は、記念品として持ち帰るのも旅の思い出としてお薦めです。また地蔵堂にて「恋愛成就」「交通安全」「学業成就」のスタンプを押して納める事も出来ます。
泉質:ナトリウム塩化物・硫酸塩泉、含食塩硫化水素泉 他
効能:創傷、リウマチ、神経痛、筋肉痛、ヒステリー、神経衰弱、打撲、くじき、疲労回復など
300年以上も湧き続ける熊本の古湯。47本の源泉を持ち、湧出量は1分間に約2,480リットルと豊富な湯量と泉質を誇る。開湯伝説によると、その昔、病気の父のために盗みをした男の身代わりとなって首を刎ねられた地蔵があった。
その地蔵の首を細川藩士が持ち出したが、突如「この地に安置して下さい」と喋ったため現在の「首なし地蔵」に奉ったところ、付近から湯が湧き出したという。共同浴場「地蔵湯」の湯が、その時の源泉とか。中央通り沿いに湧く「いご坂地獄」へ立ち寄れば、地元の人たちが湧き出る温泉で野菜や卵をゆがく姿が見られ、温泉地ならではの光景が旅情を高めてくれる。
硫黄泉 - 温泉街の比較的浅い(20メートルとも)地層から80度 - 98度の源泉が湧いている。
共同浴場 - 温泉街には2軒の共同浴場があります。(地蔵湯 穴湯)
渓谷にある温泉地であることから、収容人数はせいぜい最大60名であり、こぢんまりとした和風旅館が建ち並んでいる。旅館が拡張しようとする際も、隣地に余裕がなく、別のところに別荘や隠れ家風につくることが多い。そのため、温泉地としては上流側と下流側とに次第に区域が伸びている。いずれも低層であり、樹木とあいまってしっとりとした景観を形成している。景観を害するような原色のけばけばしい看板や、ネオン街もない。