登別温泉

登別

・北海道を代表する温泉地 登別温泉

数多くの温泉地を有する温泉天国・北海道を代表する温泉地の1つ。9種類もの多彩な泉質と、自然湧出量1日1万トンという豊富な湯量を誇り、「温泉のデパート」とも呼ばれています。 豊かな自然に囲まれながらも、新千歳空港から1時間弱・札幌から1時間強というアクセスの良さから毎年多くの人が訪れています。

登別温泉特徴

泉質:硫黄泉、食塩泉、単純硫黄泉、酸性鉄泉など
効能:婦人病、美肌、貧血症、疲労回復、神経痛、胃腸病、便秘など
特徴:“白く濁った川”を意味するアイヌ語の『ヌプルペツ』を語源とする温泉。川を濁らせる霊験あらたかな温泉の存在は、アイヌの人々に古くから知られていたという。最上徳内や松浦武四郎といった江戸時代の探検家もこの温泉について書き残しており、幕末・安政年間に本格的に開湯。明治になって傷病兵の保養所に指定されてから飛躍的な発展をとげた。地獄谷の源泉から自然湧出する量は、1日およそ1万トンと圧巻。泉質は実に11種、効能は多方面に及び「温泉のデパート」の名をほしいままにする。どの宿のどの湯に浸かっても「いい湯だな」と実感できるはずだ。

登別温泉歴史

登別温泉(のぼりべつおんせん)は、北海道胆振支庁管内登別市(旧蝦夷地、明治以降の旧胆振国)にある温泉で、北海道屈指の温泉地である。江戸時代からその存在を知られており、明治時代に温泉宿が設けられてからは保養地、観光地となった。
大昔はアイヌの人々が温泉を薬湯として重宝していたといわれる。江戸時代には、最上徳内が『蝦夷草紙』でその存在を記し、弘化2年(1845年)に松浦武四郎が訪れ、温泉の魅力を綴った。安政4年(1857年)には近江商人の岡田半兵衛が道路を開削した。安政5年(1858年)には滝本金蔵が温泉宿(今の第一滝本館)を建て、新たに道(現在の道筋)を整備した。
その後、日露戦争の傷病兵の保養地に指定され、全国に知られるようになった。1911年(明治44年)頃には旅館数軒を中心に50戸ほどがまとまり、馬車が通じていた。大正初めから昭和の初めまでは、登別温泉軌道という馬車鉄道~路面電車も敷設されていた。
2004年、登別温泉地獄谷が北海道遺産に選定され、2008年には開湯150周年を迎えた。湧き出る湯量は豊富で1日1万トン。11種類の泉質を有するといわれているが、登別観光協会のHPによれば9種類の泉質である。硫黄泉、重曹泉が中心。